どもども、ナナイロペリカンです!
ちょこちょこ続きものすみません。
「親の闘病、ひとり反省会」
父や母の病気について思ったなどを綴っております。
0:6月21日世界ALSの日
0:6月21日世界ALSの日

今回は父の病気の話です。
咽頭がん末期と診断された父。
長期入院中だったが、
ストレスで自宅療養を希望し治療を一旦やめて退院。
自宅に戻っていた父に会いに行きました。

父に会うには少し勇気がいる。

よかった、元気そうだ。
母の手料理を食べて、孫の顔を見て、100均で調達したホワイトボードと
100均でこんなにいいものを買ったと太陽光で首をかしげ続けるクマとか
自慢げに見せてきて
とても楽しそうに過ごしている父の顔を見れてホッとした。

1年以上弾いてなかったピアノも自宅に帰ってから練習していたらしい。
昔みたいにスムーズではなかったけど
大好きだった「星に願いを」「オーシャンゼリゼ」「枯葉」
あと昔お店で弾いてくれたお馴染みの曲を弾いてくれた。
昔みたいにスムーズではなかったけど
大好きだった「星に願いを」「オーシャンゼリゼ」「枯葉」
あと昔お店で弾いてくれたお馴染みの曲を弾いてくれた。

この漫画と同じ、ぶつ切りのような突然の終わりだった。
お別れが近いって言ったって
もっとゆっくり目に見えて具合が悪くなっていって。
それから入院して。だんだんと死を意識して。
意識がなくなって
そしてしばらく経ってからじゃないの?
そしてしばらく経ってからじゃないの?
でもそうじゃなかった。
敗血症にかかって一気に具合が悪くなってしまったのだ。
それから死ぬ数時間前には兄と私に向けて筆談でメッセージを書いた。
ある意味、幸せな死に方とも思える。
死ぬ間際まで自宅で過ごせて
喉詰まらせそうになりながらも妻の手料理たべれて…。
よく考えれば幸せだったねお父さん。
それから死ぬ数時間前には兄と私に向けて筆談でメッセージを書いた。
命からがら震える手で伝えてきた内容はこうだった。
「万 が 一、死 ぬ か も」
今思えば少し笑ってしまう。
数時間前までは、まさか自分が死ぬなんてほとんど思ってなかったんじゃんと
わたしもこうやって死にたいわなんて縁起でもないことを思ってしまうほどだ。
ここにたどり着くまでいろいろ大変だったけどいい死に方だった。
でもそう思えるのはだいぶ後のこと。
しばらくは全く現実味もなくて涙も出なかった。
わんわん泣いたのは死んでから10日後くらい後に
ひととおりのことが落ち着いて日常が始まってからだったし、
その10日間の間がタイムリープしたかのような不思議な時間の流れ方で
1日がとてつもなく夢見心地でふわふわしてて、ただただ長く感じた。
1日がとてつもなく夢見心地でふわふわしてて、ただただ長く感じた。
きっとアドレナリンが切れたのが10日後だったんだろう。
それから父の死後2年ぐらいは、
ふと風が吹けば涙が止まらなかった。
どんなに幸せだと思える死に方だって、喪失感は大きいし
どんなにめちゃくちゃな父だって、亡くなれば寂しい。
父の死を受け入れられたのはつい最近です。
ただ一つ、父の死についてちょっぴり後悔してることは
カメラを止めるな!
だったなあ…。
子供の写真だけじゃなくて、もっと父も写真や動画で残しておけばよかったって思います。
ほんと些細な日常がいちばんの宝物になる。
もっといろいろ語ればきりがないけれど
喉に突っかかった魚の骨のようなエピソードだったから、
書けてよかった…。喉に突っかかった魚の骨のようなエピソードだったから、
コメント
コメント一覧 (66)
同情されるどころか、笑われ者に成っていた。
『胆石』だった。
勝手に『癌ノイローゼ』に成ってる。『俺は胆石だぞ!』露骨にデカい文字で喜ばなくてもイイのに…
看病した方がぜったいにイイ!
後悔しない!
看病が下手で怒鳴られても、
イイ想い出に成る。
お母さんが
死んだ後に想った。
昨年から両親が続けて入院することになりあっという間に痴呆も進み、ホーム入所の手続き、そしてまた入院。
仕事も決まりかけてたけどいつ何が起こるかわからないと不安になり辞退の電話をいれてしまいました。私自身も年齢的に再就職は無理かな、とは思いますが何ができるか分かりませんが今は親に寄り添うことにしました。
ナナイロペリカンさんや皆さんのコメント心に響きました。
わたしも20年前に母が50歳で突然亡くなり、泣いたのは10日後、夢の中にお別れをしに母が出てきてくれた時だったことを思い出しました。父はまだまだ元気なので改めて父との日々を大事にしなければ!と思いました^_^ありがとうございます!
ナナペリさん、お父様のこと、お辛かったですね…
ぴったりする言葉が見つかりません。
大病をされて、会うのが不安で怖い気持ちもあって、勇気を出して会いにって、
顔を見て安心して…そして、心の準備のないままの、突然の別れ。
嵐のような何日間と、突然我に返って感じる喪失感と深い悲しみ。
心の中で整理をつけるのに、時間がかかったことと思いますし、今でも
きっとどこかで整理をつけられない気持ちもあることかと思います。
ほんとにね、写真も撮っておけばよかったですよね、私も今思う。
亡くなった母と、もっとたくさん写真も撮ればよかったし動画も取ればよかった。
昨日、久しぶりに出したバッグから、レシート出てきて、それが
昨年の9月に帰省した時、母と子供たちと食事に行った時のレシートだったんですよ。(ずぼらがばれますねw)
でも、「あー、この時はまだ、お母さん元気だったな。生きてたんだな。」
っておもって。「最後にお母さんコーヒー飲んで、娘が欲しがってたな。」とか。
何を見ても、「ああ、この時はまだお母さん生きてたのにな」って思ってしまう。
コメント欄の皆様、こんなにたくさんの皆様が、大切な家族と別れているんだなって思いました。それぞれが、いろんな悲しみと向き合いながら、いろんな幸せを一生懸命守りながら、生きてるんだなあって。なんというか、一人じゃないなって。
ナナペリさん、こういうことを言ったり、聞けたりする場を作ってくださって、ありがとうございました。
親の死は避けられないものですが、いざ目の前まで来ると怖くて怖くて。再発や転移への恐怖と、もうあの頃には戻れない辛さで毎日心が落ち込んでます。
そんな時にこの記事やコメントの数々に出会い、私だけじゃないんだと思えました。
ありがとうございました。
このブログを見て思わずコメントしてしまいました。
私の母は今癌で入院中です。
もともと膀胱癌で全摘しましたが1カ月後体調悪くなり腸閉塞、そして腸閉塞の手術をしたらお腹に癌が広がっていてあと数ヵ月と言われたばかりです。
明日の母の日が最後の母の日になるのかと思ったり全てが最後かもと考えるようになって今回のブログを読んだら今の私の事のようで…( ;∀;)今を大事に後悔しないようにと改めて考えてしまいました。
当時0歳児の子育て真っ最中で、育休中の私はお昼ご飯を食べ、散歩でもいくかなー。なんて呑気に考えてました。そんな時父からの着信。なぁに?なんて、そっけない態度で出ると、救急隊員でした。母に繋がらず(その日に限って携帯電話を忘れて外出していました)、娘さんにかけました。と。その時はまだ父は意識はあったようですが、病院に着く頃には意識不明になったようでした。そこから意識回復せず、2週間後に亡くなりました。
今までの感謝を伝えられなかったなど色々後悔はありましたが、最後に、娘に繋がった、、、と思ってくれたかな?と思いを巡らせ…今でも時々一人涙しています。
亡くなって半月ぐらいした時、父が夢に出てきて、「いやー、びっくりしたよ。死んじゃったよ!笑」って。。笑
今でも毎日見守ってくれていると思って、今は2人目、再び0歳児育児を頑張っています!
ナナペリさんとはたぶん同級生の年齢(笑)っぽいので、ちょいちょい垣間見れる昭和ネタとかいつも笑わせていただいております。
これからも応援しています!
私は手術中に死にかけました。
その時、すごく気持ち良い夢を見ていて、後に思うと臨死体験だったと気がついた訳なのですが。
死って、怖かったんです。ステージ4だし、再々発しちゃってるし、手術したからと言って完治するわけじゃないし、私はがんで死んでしまうんだと思う気持ちと、いつまで生きられるのか不安でたまりませんでした。
でも臨死体験したことで、死への恐怖がなくなりました。だってすごく気持ちが良い場所にいるんです。ふかふかと柔らかく温かいんです。
「死」って終わりじゃないんだな、あの気持ち良い状態がずっと続いていくんだな、って思いました。
きっとお父様も気持ちの良い場所でリラックスされているはずですよ。
うちは父がある日突然ここには書けないような亡くなり方で亡くなりました。
あまりに突然で、ありがとうとも伝えないまま亡くなりました。息子たちにも亡くなり方をいえないような亡くなり方でしたので私はひとり育児とその死との狭間で、苦悩しいろんな薬をためしたり、自律神経をととのえるようなことを検査してもだめでした
しばらくの間はずっと胃炎でした。いまも自律神経失調症ぎみではありますが
徐々に回復しています!
私が死ぬとき息子たちにはつたえてもいいかななんて考えていますが
伝えないのが愛かもしれないなんて思ったりします
だからじいじ病気になっちゃって亡くなっちゃったけどっていえるだけ私よりきっと
なないろさんは早く元気になりますよ!!笑
強いもので私も誰かといればすっかりわすれていますが、まだ背中のこわばり
私は、先月に父をがんで亡くしました。
田舎に在住していましたが、これからも生き抜くために東京で手術・入院する決心を。
しかし手術前の検査でがんは別の箇所にも。
田舎の病院の検査では気づかず。
入院してすぐに手術する予定だったのが、一ヶ月も後に。
一緒に上京してきた母にマンスリーマンションを探し、仕事と育児の合間に見舞い。
手術後2週間で退院、地元に帰るはずが、東京駅で急変。病院にとんぼ帰り。
どれだけ母と泣いたことか。
結局東京で2か月半も過ごしました。
この苦労もいずれ笑い話になるよ、と両親を励まして、やっと田舎へ返すことができたのが去年の冬。
予定通り地元の病院へそのまま転院。
放射線治療を開始すると、副作用の吐き気で食事もままならず。
そのままどんどん弱っていって。
会社や夫に冷たい目で見られながらも見舞いに行き、元気になってくれることだけを目標にしてきましたが、私たちの願いはかなわず。
今、目の前は真っ暗です。
父の闘病時にひどい言葉を投げかけてきた夫には、もう笑いかけることはできません。
田舎に戻って、悲しみに暮れる母に寄り添いたいです。
ななぺり様、お辛い体験をお伝え頂き、ありがとうございました。
ナナペリさんのブログ拝見できてよかったです。
まさに今、私の父が末期がんで抗がん剤もできずガンの進行とお迎えを待つだけの
状態です。
ケロっとしている父に突き付けられている現実が本当?と思っていたので目が覚めました。
どんなことをしても後悔はでてくると思いますがその後悔がすこしでも減るように
まずはカメラを止めるな!してきます!!!
うちの父は亡くなって5年になりますがまだまだフッと思い出すと涙が止まりません。
脳梗塞で2回目に倒れてから寝たきりに…延命治療するのは生前言ってたのと、寝たきりで話せず飲まず食わずで生きるのもと判断し胃瘻はせずに…
でも今でも思います…それで本当に良かったのかと
すいません…まとまりの話で
親がいつかはと思ってても、なぜかいつも他人事だったのでやっぱり寂しいですね。
私も両親大事にしなきゃだなー
感謝伝えなきゃだと思いました
マンガ書いてくれてありがとう
私の母も末期ガンです。日に日に弱る母ですが、孫と会うと昔の母の目になるのを見て、孫って凄いなって思います。孫が一緒だとビデオや写真は撮りやすくて子供にも助けてもらっています。
いまは母の死に怯えながらも、全く想定出来ていない自分もいます。
父に母の介護を任せているところもあり、もっとしっかりしないと思うものの、仕事と育児に追われる日々にいっぱいいっぱいな自分もいます。
正直、まだまだ両親の介護は先だと思っていました。。ナナイロペリカンさんやコメントされてる方の経験を読ませていただいて、今後の参考にさせていただきます。ありがとうごぞいました。
描いてくださってありがとうございました。
ふと風が吹くたびに涙がとまらない
というのを読み、
またコメント欄の皆さんの経験を読んで
あぁ、、、みんな同じなんだ、って思いました。
自分も仕事中とかトイレに隠れて泣いたりしてたので
周りの人は気がつかなかったと思います。
みんなそうやって人知れず耐えて
乗り越えているんですね。
私は結婚式も孫の顔も見せてあげられませんでした。
その分私からしたら、ななぺりさんは親孝行だと思います^_^
ありがとうございました。
この回、何度も読み返しちゃいました。
私も父が死んだあと、
もう大丈夫と、普通に過ごしてるのに
いつまでたっても突然すごい勢いで襲ってくる
涙が不思議でたまりませんでした。
そんな風な人って見たことなかったから
自分だけだと思っていたけど
ななぺりさんの、ふと風が吹くたびに
いつも、楽しくブログ読ませていただいています。涙が止まりませんでした。写真を取れない気持ちすごくわかります。
私も父が数年前にガンの宣告をされ、手術しましたが1年後に再発し、再手術してから回復するまでは時間もかかり随分弱ったなと感じました。今は元気を取り戻していますがまた再発するのではないかと不安がよぎります。両親も年も年なので、、。でも元気なときはすぐに忘れていつまでもこのままでいてくれるなんて思ってしまうんですよね。ほんと、親孝行しないとなと思いました。
ありがとうございます。
ナナイロさんも、いつもお忙しいと思うのでお身体には気をつけて頑張りすぎないでください。でも、最近ブログ更新が早くて嬉しいのですが笑
先月末、10連休の直前に父を亡くしました。
昨年始めに肺を患い、今年の年明けに脳梗塞を起こして入院してから自宅に戻る事も出来ず、長い闘病生活になるだろうと思っていました。
お見舞いに行く度に痩せた姿の父を見て、それでもこんなに早くに逝ってしまうとは思ってなかった…やはり、ナナペリさんと同じ思いです。
葬儀も済み、次は四十九日、育児に追われて否応なしに流れる日々に紛れて、今はあまり涙は出ません。
ですが、ふとした時に父の写真や年賀状の手書きの文字を見ると、後悔の念ばかりが沸き上がります。
もっと何かしてあげられなかったのか…
父に対して、そして幼稚園に通う上の子に対しても。
もうすぐで連休だから、そしたら上の子もお見舞いに来るからね、待っててね
それが父に伝えられた最後の言葉だったように思います。
上の子も、葬儀が終わった今「じいちゃんに会えなくて淋しい」と、時折ぽつりと云ってきます。
この後悔を抱えて私は生きて行くのだと思います。
今はまだ心の整理も付かない状態なのも自分で判っています。
身内の死を乗り越えた方、未だ抱えておられる方、皆様それぞれの思いで日々を過ごされてるかと存じます。
ナナペリさんのブログや皆さんのコメントで、少しでも前を向く力を頂き、そして私も時間をかけて父の死を受け止めて行きたいです。
有難いことに両親共に健在ですが、それを当たり前と思ってはいけませんね。。
大津の交通事故のニュースを見て、明日は我が身ではありませんが、誰がどうなるか分からない世の中だと思いました。
両親をはじめ周りの人達が何事もなく生きられていること、ありがたく思わなければ。今を明日を精一杯、出来る限り後悔のないように生きていかねばなりませんね。
父の動画はありません。
亡くなる前に「動画録りたいなぁ」と考えていましたが、父の性格上「なんで録るの?」と言いそうで、録られるのは好きじゃなさそうで、言い出せませんでした。
やはり録っておきたかったという思いはあります。でも、、、
今、遺影を始め、近年の写真を2~3枚、毎日眺めていますが、たまに『写真に残ってる顔しか思い出せなくなるんじゃないか』という恐怖に襲われます。
写真にはないふとした表情(テレビ見てる時、顔を洗ってる時、電話してる時、くしゃみをしてる時)を忘れてしまいそうで恐いです。
遺影以外の色んな表情があるから、同じ写真ばかり見続けるのは良くないかも…と考えたりします。
もちろん動画が悪いとは思いません。というか録りたかったです。
でも動画の中だけではない、生きた姿が年齢分あったのです。
いつも脳内でいっぱい思い出して、亡くなった父のあらゆる表情・動きを、絶対に忘れないでいたいです。
でも、本当はもう一度現れてほしい、生き返ってほしい。「死んだと思った?」って笑いながら現れないかなぁ。(通勤電車の中で泣きそう・笑)
支離滅裂ですみません。
動画が無くても後悔しないで、別の考え方もあるよ、と言いたかったのです。
元気だしていきましょう!!
看病に加わったことが初めてで、未だに他に何かできたことは無かったのだろうかと考えることがあります。もっと義父の望む事をしてあげれたんじゃないか…とか。
数ヶ月前にNHKの番組で末期癌の方の最期の看取りまでを撮影したドキュメントをしていました。医者で僧侶の旦那さんが末期癌で、同じく医者の奥さんが看病をされていました。きっとお二人とも病気のプロだし、死を穏やかに迎え入れていかれるのだと思いました。それを見たらどうすべきだったのかわかるかも…、穏やかに迎え入れる方法があるのかも…って。でも実際は実に人間らしく、闘病のご主人も看病される奥様も取り乱したり、きっと知識の中では無理だと分かっていても奥さんがリハビリをさせようとしたりされていました。どんな知識があってもいざ近しい人が病気になってしまうと、後悔なしに最期を迎えることは難しい事なんだと思いました。
何が言いたいのかわからなくなってきましたが、義父の法事などに来てくれるお坊さんは、亡くなった方の話をしてみんなで忘れないでいることが一番の供養だとおっしゃっていました。
火葬して形がなくなって納骨を終えたらもう2度と会えないど実感してたまにふとしたとき泣いてしまいます。
もっとたくさん話すればよかった。
なんであんなに父に逆らってしまったの?
素直に話が聞けるようになったのは結婚後しばらくしてからでした。
もっともっと話したかったよ。
ナナイロさんみたく、私は父の動画を撮ればよかった。
声が聞きたい、父が残した何かを見たい。
私はまだまだ父の死をひきずりそうです。
この場を借りて自分のことばかり話してすみません。
そしてお父様のことお話し聞けて嬉しかったです。
以前にもコメントさせていただきましたが私の母も癌でなくなりました。
抗がん剤を始めてから副作用が辛かったみたいでほぼ橫になって過ごしていました。なので写真を撮ろうとは言えなかったのですがもっとそれ以前の普段から撮っておけば良かったなと思いました。
しかも母が亡くなったのは冬に入院していて他の入院患者にインフルエンザの人が出たので病院全体が面会禁止になってしまいその期間でした。
1週間誰もお見舞いに行けずで(それは仕方のないこととは思ってますが)母の最期を思うともう残念で残念で…
いつどうなるかわからないので日頃からしっかりと生きていきたいなって思いました。(そうは言ってもダラダラ無駄な時間をよく使ってるんですが(^^;)
でも本当に後悔先にたたずですよね(T_T)
みなさんのコメントで両親とのお別れの話を知る事が出来てわたしだけじゃない。もっと頑張っていこうとも思えました。
ナナイロペリカンさんの頑張りもこれからも応援させてください!
両親が亡くなった時、私もナナペリさんと同じ事を考えました。闘病中で末期と聞いていてもまさか自分の親が亡くなるなんて現実のように思えず、写真やビデオを撮ったら親との時間がもうすぐ終わってしまうことを認めているようで出来なかったのも一緒です。会えなくなってから元気なうちにもっと一緒に旅行に行ったり写真を残したりすればよかったと…。親が亡くなったあとに友人に伝えたのは、元気なうちに親孝行して楽しい思い出と写真を残してねということでした。
ナナペリさんがお父様のご病気のことをこうしてブログに載せたのも、読者のみなさんに伝えたかったのかなと。
いつものバタバタ子育てブログも元気をもらえますが、こういう心にくるブログも沁みます。
ブログは楽しみですが、バタバタで多少更新の間が空いても、私達読者はナナペリさんの同志ですから!気長に待ってますよ(*´ω`*)
仕事子育てお母様の介護とお忙しいとは思いますが、無理せずお身体に気を付けて過ごしてくださいね!
花嫁姿も、孫も見せてあげられず、でした。
気持ち、分かりすぎます。
病気が分かってから、家にいるとき、入院してるとき、私もカメラを向けて写真に残そうとしましたが、結局できませんでした。
まさしく同じ気持ちからです。
でも、後悔はしていません。
病気になってからの父より、元気な頃の父を残しておきたい。記憶にも写真にも。
だから、私が思い出すのは、元気な頃の父の顔だけです。
病気のときの顔は、ぼんやりとしか覚えてません。でも、それでよかったと思っています。
私の中の父は、いつも元気な姿。
もし、私が父と同じ立場でも、子供には元気な頃の自分を残したいと思うから。
父が亡くなって10年経ちますが、今でも「会いたい」それだけです。
が、しかし火葬場で涙が出た以降、一切涙が出ません。
夢にだってこの8年で2回くらいしか現れません。
もう「この世にいない」という現実味が全く湧かないし、なんなら他人事のような感覚すらあるからなのかなって解釈してます。
なので今回の記事読んで羨ましかったです。
「偲ぶ」ってホント難しいですね。。。
涙が溢れるのを堪えながら読ませていただきました。
私も父が7年前に癌で亡くなり、闘病生活がたった3ヶ月だったので色々納得も出来ず後悔後悔で中々前を向けませんでした。
お父様、幸せな方でしたね。
ナナイロさんのような娘さんがいて、素晴らしい奥様がいてお兄様もいて。
親はずっといるような気持ちでつい居てしまい、自分が大きくなればその分親も歳をとるのは当たり前なのに。いつまでも自分は子供のままな気持ちでいけません。
ナナイロさん、書くのも思い出すのも辛かったろうし苦しかったろうに本当にありがとうございます。
意識が無くなる朝、仕事前に電話してきて、「ちょっと体調がおかしいんだけど、きっと大丈夫だから」と話したのが会話ができた最後でした。
午前中で仕事を片付けて病院に駆けつけた時には意識はなく、そこから1週間母と弟と付き添っていたのは覚えてます。ですが亡くなってから葬儀、仕事に復帰するまで何をしていたか、全然覚えてません。
10年経ってもまだ時々ふっと涙が出ます。結婚式に出て欲しかったな、とか孫を抱かせたかったな、とか…
もっと親孝行したかったな、と思っています。
だらだらと長くなってしまいすみません、思わずコメントしてしまいました。
身内とのお別れが増えてきて私が強く思うのは顔と同じように声もその人だけのものということです。
祖父母の方言の強い話し声ビデオに撮っておけばよかったとよく思います。
もう聞けないんだなぁと思うと寂しくてまさにカメラを止めるなですね。
ご両親のお話も、たまきみちゃんの日常もインコちゃんのお話も全部待ち遠しく読ませて貰っています(^^)
わたしの父も同じ咽頭癌で、2年前に声帯を取る大手術をしました。幸いいまは発声練習の成果もあり声も少し出ていて話せる状態にまできました。
本当に、こんな親クソとかおもっていても、自分の親であり、弱っていったり亡くなったりすると寂しく悲しいものですよね。
初孫が生まれるからタバコをやめてと散々お願いしてやめてからの病気の発見、そして父自身、病院で働いている身でありながら、やはり自分のこととなると、怖かったんでしょうね。
すみません、身内のことばかり。
ななぺりさんもお若いのに、色々な経験をされて、ブログに気持ちを整理されてわたし達に伝えてくれて、すごいなぁと思います。
これからも頑張ってください^_^!
親の病気、本当に受け入れ難いというか信じられないというか…。
私の父親も難病で、この連休中に、約2年ぶりに帰省できたので会ってきました。
あまり仲の良い親子ではなかったので、かける言葉も見つからず、「久しぶり…」とだけ。
父は、「もう一生会えないかと思った…」と言っていました。遠くない死を自覚しているようで、一気に悲しさがこみ上げてきましたが、子供達もいたのでその場で泣くのは我慢しました。
が、今、このコメントを書きながら泣いてます。
写真、撮ろうか迷ったのですが、結局撮れませんでした。やっぱり撮っておけば良かったかな…と少し後悔してます。
お父さまのお話、漫画には涙は描かれていないのに、私にナナイロペリカンさんの気持ちがぐんぐん伝わってきて知らずに号泣していました…宅配便が来て慌てて涙をぬぐいましたww
家族の死について本当に色々考えさせていただきました。漫画に描けるようになっただけすごいと思います!これからも応援しています♪♪
実はわたしも父親を食道がんで亡くしました。
今思えば最後の退院でお正月を自宅で過ごしました。
食べたりお酒飲んだりやりたい放題でまさか近々に死ぬなんて思いませんでした。
わたしも後悔しすぎてます。
風が吹けば涙が出てくるって一文、まさに一緒でした。
2011年に亡くなりましたが、いまだに涙がでます。
自分の中で「過去の事」「受け入れられた事」にならないと夢に出てこないと言われています。
わたしの夢には出てきません。
まだ消化できてないんだなぁと思っています。
今は当時の事を忘れたくないから話せるようになりました。
面立ちの親がガンと聞いただけで放っておけません。
後悔してほしくない気持ち、友に託してます。
今回のお話は、ナナペリさんいつも以上に書くのがお辛かっただろうな…と思います。いつもある日常が当たり前ではなく、当たり前が一番幸せなんですよね。
わたしは両親がまだ健在ですが、父は脳こうそくやったり、大腸がんやったり、色々あります。この間も心臓にステントをいれる手術しました。昔ながらの考えの父で、色々頑固な部分もあり正直イラッとすることもありますが、特に孫達との何気無い日常を写真に撮ったりしておきたいなっと思いました。
昨日は、小さな小さな子どもたちが犠牲になってしまう痛ましい事故があり、ニュースをみて涙が止まりませんでした。
バカでもいい、足が遅くてもいい、お風呂入らなくてもいい、ご飯たくさん食べなくてもいい、子どもたちが笑顔で生きてさえいてくれれば、私は幸せなんです。
生きていることがあたりまえではない。健康でいることがあたりまえではない。ナナペリさんの記事を見て、改めて感じました。
今年の正月に元気な姿を見せてくれた父が1週間後に突然倒れ、2月に息を引き取りました。父はいつも電話をくれるのに、2人の育児と仕事にバタバタで、「もう切るよ」と面倒くさがっていました。なんでちゃんと話さなかったんだろう、お正月にもっと写真を撮ればよかった等と後悔ばかりでしたが、ナナペリさんの記事を見ていつか父の死を受け入れられるときが来ると希望が持てました!!お母様のご病気のこともあり本当に大変でしょうが、ブログのアップを楽しみにしています☆
今1の子供が生後2か月のとき、母を突然亡くしました。
今思えば体調はかなり悪かったのですが、電車で2時間の距離にいて、毎日電話はしていたものの私も出産前後でほとんど力になってあげられなかった。
産後の手伝いに来てくれた時も、体調悪くほとんどずっと座っていた母と、赤ちゃんを一緒に写真撮りたかったけど、カメラを向けたらなんとなく『死』を認めてしまうようで撮れなかった。『これからもいつでも撮れるんだから』と自分に言い聞かせていました。
その2か月後に亡くなってしまうのに。
子供を抱いてくれてる母の写真は全部首からしたしか写してなくて。
7年経った今も毎日のように後悔しています。涙が出ます。
大好きなナナペリさんのお父様、本当に素敵な方だったんですね。
つらい経験をシェアしてくださり
ありがとうございます。
私はまだ両親元気ですが今年70歳。
色々持病持ってますし、いつどうなるかなんてわかりません。
カメラを止めるな。
会える1日1日をもっと大切にしたいと思います。
ナナペリさん、これからも育児話だけでなくご両親のお話ももっと聞かせてくださいね。
誰もが迎えるその日のために、遺される私達も 悔いなく過ごさなきゃいけないなと あらためて思いました。
亡くなる2週間前に、最後の自宅療養から病院に向かう時に、『もうこの道を父と走ることは無いのだなぁ』と涙を堪えながら運転したことを思い出しました。
もっと年老いた父の姿を見たかったなぁと、似た人を見かけると今でも涙が出ます。
子供にも、じいじの事を忘れないようにたまに話してます。
残った母も、だんだん年老いて行くのを感じますが、つい自分の生活に追われて母の事は後回しにしてしまっていましたが、改めて親との時間の大切に気付かせて頂きました。ありがとうございました。
読んでいて泣いちゃった。。
私の父も4年前、入退院繰り返してやっと退院して大好きなお寿司食べたり母の料理食べたり元気そうだったのに、私が妊娠したのを伝えた次の日に亡くなりました。。
退院した3日後でした。
父も破天荒な人だったけど1番なんでも言える存在で喪失感が半端なくて未だに涙が出ちゃいます。
写真や動画、もっと撮っておけばよかったなぁって思います。
色々と考えたりするんですけど、ちょっと前まで娘がじぃじ~!って言ったり手を振ったりしていたので、近くで見守ってるんだなぁと思っています笑
ナナイロさんの言う通り死ぬなんてのは急展開なものです。その早さには今では想像に難くありませんが当時の状況では、到底ついていけるものではないです。
マイペースな私は母の一件からやろうと思った事は躊躇なく進めるようになりました。
今思えばマイペースな私を母が急かしてくれたのかもしれません。
大事な人には助けられるばかりで恩を返せず後悔ばかりのような気がします。だからこそ精一杯やれるようになりました。失ってから気がつく事ばかりですね。非常に辛い事ではありますがそうやって自分は生かされてると思うと曲がった背筋も真っ直ぐなります。親ってやっぱり凄い存在ですね・・・
その年の春に姉が結婚をし、秋に亡くなり……甥っ子が
姉のお腹に宿りで妊娠も知らず、孫の誕生も知らずで
生きていれば私の子供を含め5人のお婆ちゃんで
色々と子育てしていく中で精神的にも力になってくれてたやろなとか、
今なら、ひ孫も居るのにな~と思ったりもします。
私が母の病状を知ったのは亡くなる3ヶ月前位で
あれよあれよで……まさか!まさか!の死期で
何も親孝行らしき事した覚えもなく
未だに心残りあります。
ナナイロさんのお父様はきっと、ずっと皆さんに見守られてとても安心した、穏やかな気持ちだったのではないか、と勝手ながら思います。
自分も20代で母親を亡くしましたが、5年くらいは気が緩むとすぐに母親を思って泣いていました。
今は時々思い出し、ふとお墓参りに行きます。
ナナイロさんと年齢が近いので勝手にシンパシーを感じてしまって…ごめんなさい💧
ナナイロさんもご無理なさらずお身体を大切になさって下さいね。
これからも漫画を拝読するのを楽しみにしています!
私も3月末に父を急に亡くしました。亡くなる2日前までは電話で話していたのに…
人って本当に急にいなくなってしまうんですよね…
この前49日が終わり一段落した途端、喪失感に襲われてます。
昼間は子供達の育児に追われているので大丈夫なのですが、夜は思い出してしまいますまだまだ涙がとまりません。
私ももっともっと写真や映像を残しておけば良かったと後悔ばかりです。
残された母がいるので、後悔のないように支えて行きたいと思います!
私も2年たつ頃には振り返られるといいな。
いつも子どもの写真ばかり一生懸命撮っていたけど、親も撮るようにします。
言いたいことはたくさんあるけど、ナナペリさん、心からありがとうございますと伝えたいです。
これから、肝に命じたいと思いました!!
特養ホームに入った母は、人前で話す仕事をしていました。
もう、人前でカッコよく話す母の姿はみれないんですけど、これから会いに言った日は、なんでもない会話とか、動画とっときたいなって思いました。
ナナペリさんありがとうございます。
49日過ぎてから、それまではバタバタしていましたが急に現実を突きつけられた気がして、精神的に堪えました涙。でも助けてくれたのは、その時お腹にいるとわかった3歳の息子。この子のお陰で立ち直れました。願わくば父に会わせたかったけど、きっと天国で見ていてくれるはずと思えば少しだけ心も落ち着きます😊
長文ごめんなさい。
親を亡くすって辛く悲しい事ですよね。
抱っこ紐をしながら末期ガンの父のお見舞いに行ってました。自宅に帰ったりもしつつ。
私もカメラ撮れませんでした。
写真を撮ると死の準備をお互いしているみたいで無理でした。健康だった頃の写真をなんでとっておかなかったんだろう…。
亡くなってからも母のフォローと子供の世話に追われて悲しむ余裕もありませんでした。
でも、この記事を読んで久々に号泣しちゃいました。
後悔は山ほどあるけど、同じ思いをしていた人がいたと思うと、何だか心が救われます。
私の父も3年半ほど前に無くなりました。最期は誤嚥性肺炎でした。父が大好きで、私はいまだに全く悲しみから抜け出せてなくて、いつかひょっこり家に帰ってくるかもとか馬鹿みたいなことを度々考えています。
このブログを見て、親と一緒にいられる時間には限りがあることを改めて実感しました。
辛いお気持ちもまだおありだとは思いますが、お互い頑張りましょう!書いてくださってありがとうございました😊
まだ介護は未経験ですが、勉強させていただいています。
本文の最後、「後悔先に立たず」ではないかと。
何か深い意味があって書かれていたなら失礼。
当たり前の日常が、本当に宝物ですね。
わたしが出産してから、両親が孫と遊んでいる風景をさりげなく録画してます。
子供にも じぃじばぁばと遊んだ思い出が残るし、親が孫と遊んでいるのを見ると、自分もこうやって遊んでもらってたのかなって思えるから。
これからも撮ろうと思いました。
友人も早くにお父さんを亡くして、写真を撮らなかったのをすごく悔やんでいました。
私の母方の家系は癌家系で、ほとんどの親戚が癌で亡くなってしまいました。
祖父も祖母も叔母も、みんな闘病中の写真は誰も撮ってなかったです..。
この記事を読んで、何故誰も写真に収めなかったのかを気づかせてもらいました。
普段、写真は旅行に行った時しか撮らないけれど、これからは私が積極的に撮っていこうと思います。
まさにカメラを止めるな‼️ですね😁
ありがとうございます✨✨
実父が一昨年の暮れに永眠しました。
定期的に通院していましたが、緊急入院した直後は、まだ会話ができていましたが、日が経つにつれ会話も少なくなりうとうとしている時間が多くなりました。
様子を見に行っても、声をかけることができず涙をこらえることで精一杯でした。
亡くなる前日は、酸素マスクをしていて実母と声をかけていたら実父が「うるせぇ」と一言。
最期の言葉が「うるせぇ」だなんて実父らしいな…と思いましたが、もっといろいろ声をかければ良かったと実父が永眠して1年5ヶ月近く経ちますが後悔しています。
今では泣くことも少なくなりましたが、それでも泣いてしまう時もあります。
まとまりなくて、長いコメントすみません…。
そして、小学校一年生でいなくなった祖母の最後に会えなかったことを思い出しました。
会う度に年を感じる両親と、出来る限り写真を撮ろうと決意しました。